カテゴリー
ダイエット 病気エピソード

ダイエット中に起きる「気持ちの停滞期」とは

ダイエットにおいて「気持ちの停滞期」という言葉を知っていますか?

聞いたことがない人がほとんどだと思います、何故ならたった今、僕が思いつきで作った言葉だからです(笑)

我ながら、中々良いネーミングセンスをしていると感心している佐藤拓也です!

気持ちの停滞期とは

そもそも「気持ちの停滞期」とは何なのか。

ダイエットにおいて「停滞期」というのは認知されていますよね。

ダイエットをしていると体重が減らなくなる時期が来ます。

世間一般ではそれを「停滞期」といいます。

これはダイエットが順調という証でもありますね。

しかし、気持ちの停滞期は全く逆。

体重ではなく、気持ちがすり減ります。

ダイエット以外から来るストレスが原因になります。

外からのノイズがストレスになり、ダイエットにまで影響してくることを指します。

本来の意味で、停滞期に突入して体重が減らなくて挫折する人は多いですが、気持ちの停滞期とは少し違います。

気持ちの停滞期は、ダイエット以外のノイズが影響でストレスが溜まり、ダイエットにまで気持ちが回らなくなり挫折してしまいます。

とても厄介

厄介なのは、外からのストレスは防ぎようがないということです。

体重が減らなくなる方の停滞期は、待っていればまた体重が減り始めてくれます。

ですが、気持ちの停滞期は待っていれば治るものではありません。

とても厄介。

僕も今回、この気持ちの停滞期に入りました。

理由はやっぱりダイエット外の問題から来ていることに気づきました。

でも中々その理由はモヤモヤしていて、気づきにくいものなんです。

僕の場合は、焦りでした。

・少しでも早く痩せなければならない。

・少しでも多く稼がなければならない。

もっと掘り下げると、痩せることで、てんかん発作時の安全性を高めることが出来るのと、自分に自信がつきそうだからです。

ダイエットが成功することによって、今よりも収入が多くなると思っています。

なぜ、焦るのか、時間がないからです。

31歳という年齢で、同級生との差を感じるようになりました。

収入面でも、生活面でも、果てしない差を感じています。

そして、将来の不安。

てんかんの発作は今もあります、今は周りに父と母に助けてもらっていますが、いつかは居なくなります。

ずっと今の環境が続くわけではありません。

僕だって、小学生の頃は今の30歳の自分なんか想像も出来ませんでした。

その聞きたくもないのに、同級生の現状が耳に入ってきてしまい、知らず知らずのうちに自分と比較して焦っていました。

「自分は自分、他人は他人」分かっていても難しいですよね。

 

カテゴリー
ダイエット 病気エピソード

やっとダイエットの糸が、元に戻りました!

ダイエットの気持ちが切れていた佐藤拓也です!

でも、やっと気持ちが戻りつつあります。

今回は気持ちが戻るのに時間がかかりました、長かったですね~

顔出ししたのが、自分に効いたのかな(笑)

本当は違う理由です

ダイエットの気持ちが復活したのは、本当は違う理由です。

幼馴染(男)が結婚するそうです。

中学生まで仲が良かったのですが、その後疎遠に。

何処の高校に行ったのか、今何をしているのか、電話番号も知りません。

最後に会ったのは15年くらい前で、それから全くの接点なし。

でも、それまでは仲が良い友情以外にもお互いに、言葉や態度には示さないものの、競い合いドロドロした感情がありました。

こいつには、とにかく負けたくない。

負けたら嫉妬してしまう。

小さいころから一緒に遊んでるからこそ、そういう関係になってしまうことってありませんか?

 

お互いそれをなんとなく感じて、離れたのではないかと思います。

今になって、その話を耳にしてからモヤモヤしていましたが、曖昧なモヤモヤ感だったんです。

このモヤモヤを、マインドフルネスでたどってみました。

15年経っても、嫉妬している自分に気づきました!

マインドフルネスに従い、嫉妬している自分を許しました。

 

マインドフルダイエットを始めてなかったら、この原因を見向きもせず、認めたくないから考えもしなかったと思います。

でもマインドフルダイエットを始めて、本当は何なのか、やっと見えてきた気がしました。

やっと効果を実感しています。

そうして、またダイエットに対する気持ちが元に戻りました(笑)

カテゴリー
ダイエット 病気エピソード

実写化しました、佐藤拓也です。

ダイエットブログも100記事溜まりました。

意外と早く行きました!

でも、いつも読んでくれている人は周知の事実だと思いますが、最近マインドフルダイエットに行き詰っています。

そこで考えた結果もうこれしかない!と考えたわけです!

半分顔出しした理由

完全に顔出ししないユーチューバーのような見た目ですが、その通り、参考にさせて頂きました。

太ってても、顔を隠していても分かりますよね・・・イケメンなこと!!

そんな話は置いておいて、昨日話した通り、理由は7月に入ってあまりダイエットが上手く進んでいないからです。

何か打開策がないもんかと、悩んだ末に前から会社で言われていた顔出し。

いわゆる気分転換。

僕は、ネットに顔を晒すのに抵抗がある人間です。

そういう風に生きてきたからです。

誰が好き好んでコンプレックスを晒すでしょうか!?

120㎏(今は102~104㎏)の醜い体を晒したいでしょうか。

シャワーを浴びるたびに、本当にそう思います。

体を晒して、お金が入ってくるならともかく、小さい頃からからかわれ続け、友達にもからかわれ、家族にもからかわれ。

おまけに知らない人にも、好奇心で何キロか聞かれるしまつ。

小学生の頃、学校にテレビの撮影がきて、しかも僕のクラスを撮影されたんですよね。

放送時、ばっちり僕の顔が映ってました。

それがまた、周りの恰好のネタになってしまって。

顔出しに抵抗があるのは、それが根本的にある原因かもしれません。

だから「絶対顔なんか晒すもんか!」という決意がありました。

どうせ顔出しするなら別の機会だと考えていたのに

顔出ししない理由は他にもあって、どうせ顔出しするなら「別の機会に出したい」という思いがありました。

ダイエット、てんかんという病気以外の全然関係ない所で痩せた後に、顔出しが出来ればいいなと思っていました。

具体的な案はありませんけど・・・

とりあえずイラストではなく、着ぐるみでもなく、佐藤拓也とは別人として体重にも、てんかんという病気にも縛られることなく生きていきたい。

当たり前として、30年付き合ってきた体重とてんかん。

てんかんは難しいかもしれないですけど、違う世界を見てみたいです。

 

 

もう一つ、今回顔出しをしたことによって、この僕が適当に書いたイラストは、これでお役御免になりました。

もうこれ以上脱ぐことはないと思います。

まだ完全顔出しは勇気がでません!

ん!?でもよくよく考えたら、僕このサイト一発目のブログで半裸になっていましたわ!

結構スゴイことやってますね(笑)

カテゴリー
病気エピソード

てんかんでも出来る、運動部はあったのかな

みなさん、学生時代の部活は何をしていましたか?

高校といえば、青春街道まっしぐら!

佐藤、憧れていたものがあります、それは部活動!

学生時代は部活と縁がなありませんでした。

入ってみたい部活動

僕の高校は、帰宅部がなく、どこかの部活動に入る必要がありました。

でも1つの学校に、実態のない部活動がひとつ、ふたつあります。

僕はぶんぶに漫画部に入っていました。

漫画を描いたこともないし、もっぱら読む側です。

部活部屋もありませんでした。

実質、帰宅部です。

どこかで、てんかんだから部活動は不可能という気持ちがありました。

今更ながら、学生に戻ったら部活動に入るなら何部に入ろうか考えてみました。

入るなら、体を動かせる運動部に入りたいです。

プールに入ったことがないので、水泳部。

弟が野球をしていたので、野球部。

バスケも定番ですよね。

後はバトミントンもカッコいいです。

どれかに入ってみたいです。

いや、運動部に入っていました

記憶をたどったら運動部に入っていましたわ!

新聞にも出ました!

それは!!相撲部!

高校に相撲部がありました。

もちろん人気は皆無。

でも顧問は相撲部に力を入れていて、僕が無理やり入れられました(泣)

たしかに、ピッタリの体型でしたよ!

でも、やりたくありませんでした。

なんで無理やり入れられたかというと、後1人入れると、公式大会に出れたそうです。

そして僕の名前が新聞に載りました。

高校の相撲の大会は、参加する部員の名前が1人1人発表され、僕の名前もバッチリ!

自分の名前が載ったことは、後で知りましたよ(笑)

 

そのせいで、いっとき僕のあだ名が関取になりました。

近所のおじさんまでも、僕の名前が新聞に載っていたことをしり、「これ佐藤君の名前!?」と聞かれました。

あれは恥ずかしかった(笑)

大会の結果ですが!!

当日、発作が出たと言って休みました。

 

そもそも練習もしたことがないのに、本番に出そうということが間違いです。

張り手一発で、脳しんとうを起こしていたでしょう。

このときは、何が悲しくて、男と抱きつかなければいけないのか、分かりませんでした(笑)

これが、唯一の僕の部活動です。

カテゴリー
病気エピソード

ポケモンはじめようかな

ポケモン赤緑世代の、カビゴンこと佐藤拓也です!

僕が小学生の頃爆発的に人気になりました!

青が憧れでした。

ゲームボーイ、探したら家にありそう。

てんかんで、外で遊べなかったので、ゲームする時間だけは友達より多かったですね。

かくいう僕は次の金銀でポケモンは卒業。

その後は、ストーリーは追いかけていましたが、四天王を倒したらおしまい。

それも途中までで、最新のは全く知りません。

詳しいポケモンは、初代の151匹までですね~

正規のミュウ持っている人、周りには誰もいなくて、憧れでした。

もっぱら、バグ技、裏技で出した、ミュウしかいませんでした。

そういえば100レベルにする裏技もありましたよね(笑)

今、初代がバーチャルコンソールで販売されているらしいですが、すでにミュウの配信は終了しているとか。

バグが多くて有名だったポケモンの赤緑ですが、ミュウを出すことで有名なのが、ミュウを釣るバグらしいです。

でも僕の周りでは、コイキングをミュウにする裏技でした、色々な裏技があった初代ポケモン(笑)

興味が出てきた

知っている人は知っている、厨ポケ狩り講座を見ていて、また興味が出てきました。

あの動画、面白いですよね(笑)

あれを久しぶりに観ていて、興味が出てきました。

今は1000匹近いポケモンがいるそうです。

僕が遊んでいた初代は151匹しかいなかったので、凄い増えています。

最新の買おうかなと考え中。

プレイすることがあれば、このブログで書いていこうかと思います。

ダイエットの方もがんばります、カビゴンからミュウツーになりたい。

カテゴリー
病気エピソード

てんかんの子供の接し方で将来が変わる?

てんかん、なったばかりの頃は不安が沢山ありますよね。

てんかんの、わが子は将来どうなるのだろう?

両親はこの先どうなるのだろう?

てんかん歴20数年の僕、佐藤拓也が身をもって体験したことを書いていきます。

家族の接し方は2通り

(1)将来のことを考えて育てる。

(2)過度に甘やかして育てる。

どちらも、子供のことを心配してのことは変わりありません。

ですが(1)は(2)に比べて子供の将来の心配度が低い傾向にあります。

 

(1)は、大人になっても発作が収まらなかった場合の事を考えて、自分たちが居なくても大丈夫なように試行錯誤をして育てようとします。

時には優しく、時には厳しく、なおかつ将来の選択肢を広げるような子育てをする人が多いです。

中には「出来ることはさせる、手伝う」と、てんかんの子を持つお母さんと話したことがあります。

でも「線引きが難しい」とは言ってました。

(2)は、今現在が、心配で甘くしてしまいます。

てんかんだからかわいそう、とついついワガママまで聞いたり、甘やかして育てがちです。

どちらの育て方が正しくて、どちらの育て方が悪いということではありません。

ですが(2)の子が大人になったときに、マイナスな性格、自立できない。という傾向があります。

自分で、どうしたらいいか分からないからです。

大人になったら変わる、そう思いたがる親は多いですが、大人になっても勝手には変わりません。

僕の体型と一緒ですね。

 

僕の両親は(2)でした。

急に、途中から(1)に変わりましたが、今はよかったと思います。

てんかんのセミナーで知り合ったお友達から、言われて気づかされた。との母談です。

 

カテゴリー
ダイエット 病気エピソード

病気より、デブのエピソードの方が多い!

いらっしゃいませ、佐藤拓也です!

病気エピソードは沢山ありますよ!

でも、デブのエピソードも沢山あります!

裏で言われていたあだ名は多数あれど【ディアンケト】と呼ばれていることを知ったときの気持ちといったら。

今では笑いごとですが、当時はディアンケトと言われていたおデブは多かったのではないでしょうか?

ライフが-1000になりました。

エピソード

今まで生きてきて、てんかんで受けた偏見よりも、デブなことで受けた偏見な方が多いような気がします。

てんかんと同じくらい、この脂肪とはお付き合いがあります。

てんかんエピソードも充実していますが、太ったエピソードもそれなりに充実しております!!

股ずれの恐怖

大人になった今、あまり出歩くこともなくなったから股ずれはしなくなりました。

でも子供時代は、股ずれが酷くて酷くて。

歩くたびに激痛が走りますね。

毎夜風呂上りに、股に薬を塗ってた記憶があります。

痛いです、傷になります。

悲しいのは、今もその時の傷が股に残っているということですね(泣)

弟にバレンタインチョコを渡してくれない!?

僕には弟がいます。

野球部で、痩せ型で僕とは真逆人間でした。

そんで顔は僕に似てキュート!

僕を慕ってくれてた自慢の弟です。

しかし一番ショックだったのが忘れもしないバレンタインデー。

ねぇこれ、弟君に渡して。

そう同級生に言われて、渡したお礼に明治のアーモンドチョコを貰ったのは悲しい思い出です(泣)

チョコを食ってやってから弟に渡してやりました。

弟から預かったホワイトデーは、僕で止まっています。

カテゴリー
病気エピソード

就職できたのは親戚の会社のみ。

どうも、佐藤拓也です!

僕が会社員として働けているのは、親戚が会社経営をしていたからです!

ITの専門学校を卒業していますが、最初は自力で就職するつもりでした。

落ちた面接

僕は未だに発作がありますし「隠しきることはできない」と思ったので正直に告白しました。

10社ほど書類選考に受かり面接しましたが、全部の会社にてんかんだという事を報告しました。

結果は0勝!中には告白したら空気が変わる会社もありました。

他人と比べて特別多く面接したわけではありませんが、落ちたのは、てんかんも原因の1つだったのでしょう。

小学校の頃を思い出しましたよね、担任に舌打ちされた後に言われた一言とダブりました。

それである日、父から「倒産の親戚の会社で働いてはどうか?」という話が来ました。

後から知ったのですが、心配した父と母が掛け合ってくれたみたいです。

僕とは直接面識のない親戚でしたが、快くOKをもらいました。

IT専門卒で、会社の仕事と僕の能力がマッチしたというのもありました。

理解ある会社

最初からてんかんと知っていただいてからの入社なので、今も楽しく仕事をしています。

数人の社員しかいないのと、社長の親戚だからといって変な気も使われないので、ありがたいです。

ですが、てんかんの人の就職がいかに大変かというのが身をもって体験しました。

伝があって就職できましたが、面接も受けられず、仕事が出来ずに苦しんでいる人もいるんですよね。

いつか根本的な治療法が出来たらいいのですが。

カテゴリー
ダイエット定期報告 マインドフルダイエット 病気エピソード

脳が強い欲求に流されないように、食べたい衝動に名前を付ける。

どうも、佐藤拓也です!

もっと食べたいという気持ち、ダイエットをしている人なら皆さん感じることですよね。

僕ももっと食べたいと思うことが今もたまにあります。

欲求は減ってきた気はしていたんですが、何ヶ月も続けて分かってきたのは、欲求には波があることです。

 

食べたい欲求に名前を付ける

強い欲求のことを「クレイビング」といいますが、そのとき、脳の中の一部分が活性化しています。

そこで、今まで書いてきたマインドフルネスをすることにより、強い欲求を求める活性化していた脳が低下するというデータがあります。

そうすると、欲求に流されないような脳になっていきます。

そこで有効な手段の一つである「食べたい欲求に名前を付ける」ことです。

僕が付けた名前は・・・「犬!」

適当に付けました。

もしかしたら、途中で変えるかもしれません(笑)

名前をつけたら

これから先、強い欲求が表れたら、名前を付けた犬(欲求)が暴れ回っているなと考えてください。

このとき、やってしがいがち、というか殆どの人が思ってしまうことですが、欲求と自分は切り離してください。

欲求と自分を切り離して、客観的にみるようにしてください。

自分と同一視しないようにします。

呼吸フォーカス法やボディスキャンなどと一緒にしてみてください。

客観的にみることが、第一歩です。

マインドフルダイエット、ボディスキャン。

 

マインドフルネスの基本、呼吸フォーカス法

 

最近のダイエット

最近はダイエットも順調で、105.2㎏になりました!

順調です、でも今月の目標は100㎏切ることでしたが、ちょっと無理そうです(笑)

ですけど、いつまで経っても僕の体内年齢が下がりませんね。

それにくらべ基礎代謝は下がっていく一方。

どうやったら体内年齢はさがるのでしょうか!?

カテゴリー
病気エピソード

てんかん発作は今もあります

どうも、佐藤拓也です。

僕には今もてんかん発作があります。

成長とともに良くはなりましたが、どうやらこれ以上は良くならないような気がします。

なので運転免許証の類は持っていません。

都会な方に住んでいるので、車がなくてもそこまで困らないですね。

友達も車を持っている人が少ないので劣等感も特にありません。

地方は違う

でも地方は違うみたいですね。

車がないと買い物もまともにできない、厳しい現実があるそうです。

今は、一定の条件を満たせばてんかんの人でも車の運転はできるみたいですが、昔はそうもいかなかったらしいです。

僕が小学生の頃に、母と行ったてんかんのイベント会で出会った人がそう言っていました。

小学生の頃に、てんかん患者の生きづらさを生で感じた瞬間でした。

運転免許がないことへの劣等感は相当なものだったと皆さんの前で演説していました。

母に連れられて、その人と話しました。

20年以上も前のことだし、僕はよく覚えていません。

でも母は色々な質問をしては、その人に聞いていました。

てんかん患者が将来どのような生き方をするのか、気になったんだと思います。

そういえば小さい頃の僕の両親は、将来自分で生きていく力をつけるために、色々な会合に連れていかれた気がします。

思春期にはそれが嫌で、喧嘩したこともいっぱいありました。

僕も若かったんです、そういうお年頃でした。

でも、仕事を始めるようになってから僕の意識も変わり、あんまり口うるさくなくなりました。

少しは自分で生きていけるということを認めてくれたのかもしれませんね。